「長生きはめでたいことなのか」 朝日新聞掲載の投稿をめぐって

ひとりの高齢者が投げかけた「声」(投稿)に
さらに複数の高齢者が意見を寄せていました。

人間らしい生き方を問い続ける医療者もいます。
でも、なかなか思っていても「声」にしにくいようです。

そんななか
   ※おそらく埼玉県北本市藤倉医院の医師だと思います

■高齢者は意見もっと述べよう
医師 藤倉一郎(埼玉県 82) 

 長寿はめでたいことです。しかし、長寿が必ずしも健康かというと、そうは言えません。報道などでは元気に活躍している人が注目されますが、多くの人は介護を受けたり、病院に入院したり、人のお世話になったりしているのです。

 統計では存命していれば長寿ということになります。しかし、実際は医療や介護に頼って生きています。だから医療費や介護費は増大します。日本の医療費の半分以上が高齢者に使われています。延命のために高額な手術が行われ、高度な医療技術も使われています。更に高度な介護を必要とする高齢者をつくっているとしか思えません。

 寿命の延長のためだけの医療は、制限すべきでしょう。医療者としてもそう思いますが、なかなかはっきり言えないのです。高齢者は、意見をもっと述べましょう。


私の意見は、藤倉医師と全く同じです。

寝たきり老人はつくられてしまう
・・・・「救命」が上手くいかなければ 「延命」にかわってしまうのです。
もちろん、その後も選択の道はいろいろあります。
医療を受ける人の生命力も想像を超えるもの。
経験を重ねた医療者の予想も 正直なところ良くも悪くもはずれるものです。
★(2015/7/5) 計り知れない生命力 ~ 義父の場合 ~

現在の「尊厳死」は最期の最後に焦点をあてたものでしかありません。


私にはまだ平均寿命まで30年もありますが、
自分のこととして、今の時点でも余計な医療は要りません。
個人としては常にその時できることをしていると感じていますし、
母親としては 子どもたちが一人で生きていけると感じた時点で
生き続けることに執着はありません。 
夫と話すのは、「サケなんて、卵を産んだらもう命を閉じるのよね。」
もっと以前から、死を恐いと思ったことがない、・・・・かもしれません。
ちょっと、“変な”のかもしれませんが。

(私にとって)必要な医療かどうかの基準は、生活の質(QOL)への貢献度。


そして、支援にかかわる時大切にするのは、
それぞれの人の 「その人がどう生きたいか」 をともに問うこと。
(死の瞬間まで生きるのです)
少しでも長く生きていたい、と考える人も当然いらっしゃいます。
★(2014/11/05) それぞれの人がもつ それぞれの死生観
ご本人でなく家族が、「少しでも長く生きていてほしい」と考える人場合には、
それがご本人にとって幸せなことなのか、やんわりと問いかけることもあります。

看取り が少しずつ大切なものとして注目されるようになってきました。
看取りを支援する医療がもっと充実していってほしいと願っています。

最期を生きるひとも 看送るひとも 少しでも心穏やかでありますように・・・



朝日新聞の投稿を目にしてから ずっと、
この投げられた「声」がどのように波紋を広げていくか気になっていました。

今日は、医療ニュースでも取り上げられていました。 
以下の意見は、新聞記事ではなく、医療ニュースへ寄せられた(取材した)ものでしょうか? どちらの意見も緑文字は 医療ニュース からのコピペです。

◆最期の迎え方考えよう
日本尊厳死協会副理事長の鈴木裕也医師 

世界には十分な医療が受けられず、平均寿命の短い国がたくさんあります。有数の長寿国である日本は幸せな国です。ただ一方で、終末期の医療をめぐって、本当にこれでよいのかという疑問が出てきています。

 これまでは寿命が来て天寿を全うするのが普通でした。しかし医学の発達は過剰な延命治療を可能にし、自然で静かな最期を阻むようになりました。医学界は救命と延命を第一にして、望ましい看取(みと)りの実施と教育をおろそかにしてきました。

 どのような形で人生の幕を閉じるのかを国民一人一人が考え、医療者は患者の意思を尊重した終末期医療を行うべき時代になりました。人間本来の在り方とはどういうものなのか、終末期の看取りに関する法整備も含め、しっかり考える時期だと思います。



医療費による経済破綻は、
国レベルだけでなくその前に個人レベルでも心配しなければなりません。


国民医療費の抑制と治療の是非を一緒に考えるべきではないとは思いますが、
現実の医療(医療費)は藤倉医師の指摘する通りだと常々私も思っているのです。

「長生きはめでたいことなのか」
どうぞいろいろな側面から 考えてみてください。

自分の望む生き方、個人の経済的負担、家族の負担、・・・・



藤倉医院は、鴻巣市内の『明里訪問看護ステーション』と提携しているのですね。
新しい情報 発見です♪


埼玉県鴻巣市の開業保健師 ヘルスプロモーションサポート栗原 HP はこちら

この記事へのコメント

2015年09月17日 12:26
こんにちは。
日本は世界一の長寿国です。100才以上の超高齢者は5万人を超えていますね。長寿はおめでたい事ですが、殆どの人は寝たきりに近くて日常の生活は自分で出来ないと思います。

医学の進歩と延命治療により長生き出来る様になりました。しかし、治療費や介護の負担で家族も国家にとっても大きな経済的な負担を負っていますね。延命と経済的負担と言う『 矛盾 』した問題を同時に解決する事は難しいです。楢山節考の小説や映画もこの問題を提起しています。

『 どのような形で人生の幕を閉じるのかを国民一人一人が考え、医療者は患者の意思を尊重した終末期医療を行うべき時代になりました。人間本来の在り方とはどういうものなのか、終末期の看取りに関する法整備も含め、しっかり考える時期だと思います。』

おっしゃる様に、国民一人一人が自分の終末期医療について考える事が必要でしょうね。

ある一定の年齢に達した時点で、リビング・ウィルと言う意思表示をしてもらう方法があります。具体的には、延命治療を続けるのか・打ち切りをして尊厳死を選ぶのか・事前に選択する・臓器提供・等々について正常に判断できる健康な時に書面で遺すことだと思います。人の生死に関わる微妙な問題で、医師・学者・政治家も言い難い事でしょうね。1994年に日本学術会議から尊厳死容認の3条件をあげています。
2015年09月17日 14:04
華の熟年さん、いつもお読みいただきありがとうございます。
日本尊厳死協会の『リビングウィル』における「終末期」や「延命措置」は、本当に最期の最後に焦点を当てているのが現状ではないでしょうか。
現時点では、「延命措置はして欲しくない」と書いておいたところで、多くの人は医師の勧める標準治療のレールに乗っていってしまうように感じています。延命措置をするかどうかが問われるまでに、病院に搬送されれば(不慮の事故でもない限り)すでに多くの医療が施されてしまうのが普通なのです。
持病の悪化なら自宅で看取ることはできても、急に倒れられたら救急車を呼んでしまうでしょう。
…その時その状況の中での最善を選ぶためには、しっかり学び考え続けるしかありませんね。

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