在宅緩和ケアに取り組む医師 ~高崎市:萬田緑平 医師

先日の参加した「サルビアの会」で、
赤荻先生から講演会のご案内をいただきました。

いばらき介護支援フォーラム in 県西
萬田緑平先生 『最期まで目一杯生きる』   
12月17日(土)13:30~
古河市福祉の森会館が会場(申し込みが必要)
※フライングでご紹介です

萬田先生の紹介文には、 
 医師になったその年から、穏やかになくなっていく人と辛そうになくなっていく人がいることに気づき、緩和ケアという言葉がない時代から緩和ケアをしてきました。・・・・・
 ・・・・「8年間で1200人を看取りました。でも、看取ることが仕事じゃない。緩和ケアが仕事じゃない。自宅で目一杯、その人らしく生きることを支援する『生き抜き屋』集団です。
(赤荻先生自作の案内チラシより)


さっそく、萬田先生の活動の様子を調べてみました。
緩和ケア診療所・いっぽ

積極的に緩和ケアに関する声を発信する姿が頼もしいです。
講演活動も精力的です。

先生の発信するものをいくつか読ませていただきました。
私は、先生の考え方に全く同感!

医師としてここまで行動できることに、その勇気に、感動!


皆さんも、ぜひ、読んでみてください。一つ選んでみました。

なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか - 萬田緑平

いかがですか?


あくまでも私個人の考えですが、・・・・
私はがんで最期を迎えたい。
がんであることを症状が出るまで知りたくないですし、
症状が出れば、自分なりに最期を迎える準備(片付け)をし、
医療は 緩和医療(ケア)だけでいい。
そう思っているのです。
(2014/11/5)それぞれの人がもつ それぞれの死生観
(2015/7/18) 「がんで最期を迎えたいと考えている」と発言(サルビアの会)

「がんだってわかったら、
古河市(赤荻先生と友愛病院)か四万十市(小笠原先生) に引っ越そうか。」
そんな会話を夫に 本気でしている私です。
(住所を変えたことのない)夫は笑っていますが、
住所を転々としてきた私には現住所に執着はありません。

自分の住んでいるところにこだわるか、
満足できる最期を迎えるために移住するか。
突拍子もない提案かしら? (そうとは思いませんけれど。)




日本での緩和ケアは、大阪の淀川キリスト教病院の「ポスピス病棟」が1984年に建てられたのが最初 という説が有力です。当初は、「ターミナルケア」と言っていました。
私は まだ看護学生でした。
今のように「緩和ケア」「緩和医療」という言葉が国民のなかに浸透するまでに、
30~40年もかかっているのです。
それでも まだまだ 本来の「緩和ケア」の目指すところが 正しく広がっているとは思えません。
名称だけで、実質的内容が伴わないところも多いことでしょう。

緩和ケアを専門とする看護師にも、2種類あります。
大学院教育の「専門看護師」と、日本看護協会の「認定看護師」。

看護師の力が最大限生かせる医療の場でもあるように考えていました。
たぶん臨床看護師を続けていたら、この分野を選んだことでしょう。


最期まで自分らしく生きるために必要な医療とは何か。

どうぞ 考えてみてください。




【追記】
萬田緑平医師は、2107年4月から前橋市(群馬大学そば)に
独立して緩和ケア診療所を開設予定です。
(2017/3/3)萬田緑平医師が独立開業へ! ~前橋市 緩和ケア萬田クリニック(仮称)





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