私を育ててくれた【TSUKUBA】の魅力 ~筑波大学附属病院開院40周年

医療ニュースの見出しに 
「筑波大学附属病院開院40周年」 
を見つけました。

附属病院は 1976年開院。 
桜村 にできた 巨大な研究学園都市 の中でした。

私がTSUKUBAに所属したのは、
1980年の学生時代から1987年の看護師まで。
間で千葉大学に編入学しましたが、
短大部教育は大学レベル以上だった感じ。
最終学歴は千葉大学看護学部卒でも、
実質は
筑波大学医療技術短期大学部看護学科卒 なのです。


私が育てていただいたのは間違いなくTSUKUBAで、
心の所属もTSUKUBA。

病院は、開院当初から
何もかも「普通の病院」とは違っていました。

大学にしたかったという短大部は、
開学当初から あるべき看護師像を目指す
洗練された教育内容が準備されていたのです。


医療ニュースで 「開院40周年」を知って、
現在の筑波大学付属病院HPにアクセスしてみました。

組織図を見ても、当時の流れを保ち、
医師とほかの部門が
チームとして認め合っていることがわかります。
情報公開も素晴らしい。
診療棟も新しくなって、
私のいたE棟はどこへいってしまったのでしょう。

看護部長は研究者・教育者を兼務。
でも、看護基礎教育はTSUKUBAではありません。
TSUKUBAで看護学を学んでいない看護職が、
「つくばナース」を語る。。。。
短大部も 大学になるずっと前から、
教授の交代で変化してしまうもの。
仕方がありません。
やはり40年は長いのです。


「つくばナース」の基礎を作ったのは、
高橋美智教授(のちに看護部長)、
小宮院長、その他の多くの教員や看護職・医師だったと思います。
もちろんその他の各部門も一体となって、
既存の型を外して、
病院のあるべき姿に近づこうと
力を注いできたのでした。
看護師を医師と水平な
異なる視点から患者さんを見るチームの一員として、
教室で、付属病院での実習で
育てていただきました。
(これが、ほかの土地に行くと
まだまだ“出る杭”扱いにされる元なのです)
看護学生も病院内で「学ぶ者」として
大切に扱っていただきました。

「自ら学ぶこと」
「根拠を明確にして行動すること」
「話し合うこと」
を重視する気風。


高橋美智先生は、教育者としてだけでなく
看護部長としてもモデルです。

私が大学を卒業して附属病院に戻った時には
看護部長でした。
現場に足を運び、
スタッフの一人一人の動きをそっと見ていました。
現場主義の臨床家でした。
(部長室にこもっていて、何が見えますか?)
ふっと振り返ると、
少し離れたところから見てくれている安心感。

あるとき、病室から出てくる先生(部長)から、
「今、○さんにお便器をお持ちしましたからね。」
「え~、すみません。ありがとうございます。」
「なに言ってるの。私だって看護師よ!(ニコッ)」
その時の患者さんは、あとから、
「今の人は誰だい?」
「看護部長で、私の先生です。」
「あれま、偉い人に大変なことさせちゃったかぁ?」
「いいえ、先生も看護師ですから 大丈夫です。」

部長だけでなく、
師長の上の立場の看護職(スーパーバイザー)が、
師長を含めた病棟内での看護師の動きを把握し、
師長をサポートしていました。
スタッフからすれば、
師長との関係も健全なものになったのです。
看護部は看護師更衣室のすぐわきにあり、
ドアはいつも開いていて、
「○さん、お疲れさま!」 と
上位管理者から声がかかるのです。


[ 外の世界も見てみよう、いずれTSUKUBAに帰る ] 
と思っていたのに、
なぜか、戻らぬことになってしまいました。 
数少ない後悔です。人生の大きな分岐点でした。
…帰ったとしてその後のことはわかりませんけれど。



今年12月は、高橋美智先生の7回忌です。
離れていても心のよりどころでしたのに、
亡くなってからのほうがむしろ頻繁に
心の中に浮かんでくるのですから不思議なものですね。
様々な場面が 映像として思い出されます。
声が聞こえます。

お亡くなりになる前の年、私は就職活動で東京へ。
「原宿」のアナウンスを聞いて、
私の足は電車を降り、
約束もないのに看護協会へと向かっていました。
そして、約20数年ぶりの直接の再会。
「あんたは、いっつも突然なんだから。 
 しょうがないわねぇ。
 たまたま今日は時間が空いててよかった。」
帰りのエレベーターで、
「寒いからね。気をつけてね。」と
ドアが閉まるまで見送ってくださったのが
お別れになってしまいました。
でも、どうしてあの時電車を降りたのか、
・・・・不思議なものです。


私の中では
TSUKUBA=当時の先生がた・当時ともに働いた仲間
        (看護師も医師も)

「つくばナース」・・・・
学びの姿勢やチーム医療の考え方、
臨床と大学の密な連携など、
HPを読んでいると、今でも帰りたくなってしまいます。
「今は、昔とは違うよ。」という声も聞こえてきますが、
それでも・・・・。

年月が流れて、
ともに働いた医師の名も 教授として数名だけ。
ぞれぞれに県内外各地の組織で、
中心的地位につき活躍していることでしょう。
看護協会新聞に
筑波メディカルセンター病院の院長(軸屋先生)の写真を見つけたのは
つい最近のことです。
(当時は循環器外科シニアレジデントでした。)
人材育成(キャリアパス導入)を目的にした
「人事評価」体制を整えるために、
看護師を含め一人一人の職員全員と面談をしたという記事でした。
医師と看護師が相談・議論を交わすことが当たり前だったTSUKUBA。
そこで育った医師が組織のトップに立つことで、
茨城の医療はずいぶんと改革されてきたはずです。

古河市での赤荻先生の活動もそのひとつですね。



さて、私は医療が必要になった時、
どこへ移住しましょうか。

住む場所にある最善の医療で妥協するか、
満足できる医療(緩和ケア)を求めて移住するか。

今の私は間違いなく後者を選ぼうと考えています。




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