家族を自死で失うということ ~ブログに綴られたある遺族のこころ

埼玉県鴻巣市のフリーランスの保健師 栗原です。

今日12月25日は、(日付が変わってしまいました)
電通の過重労働による犠牲者
高橋まつりさんの2度目のご命日でした。


職業がら
病気で最期を迎えるかたやそのご家族とお話しする機会は多いのですが、

自死遺族となられた方々と接する機会はなく、

その遺された方々が
どのような暮らしをされているのか
想像することも難しいと気づきました。

「分かる」ことなど到底できない。。。
(他者のことを完全に分かることはできないという意味で)
正直 そう感じています。


まつりさんの自死は、
過重労働という社会問題として
多くの国民が知るところとなりました。

まつりさんのお母さんは、
労働者が大切にされる世の中をつくることに
悲しみ・怒りのエネルギーを向けることで
こころを奮い立たせているように思います。



画像












その報道を読んでいる中で、

私の気持ちが向いたのは・・・

私がもっともっと分からないと気付いたのは・・・


自死を選ぶことにつながったのが、

いじめであったり

家庭内の問題であったり

特定の個人である場合のこと。

あるいは、

なぜなのか理由もわからないままに

自死という形で旅立ってしまった場合のこと。



「苦しい」「辛い」「自責」 ・・・・etc

その言葉に含まれる具体的な中身について
自分はどれだけのことを受取ることができるのだろう。。。



自死遺族

検索してみました。


Web上には、
たくさんの自死遺族の生の声が
寄せられていました。



おひとりのブログに行きつきました。

弟が自殺しました(自死遺族の日記)
2010年、弟が自殺しました。当時の状況、家族の心境、私の想いなどを書いていきます。
何に役に立つかわかりませんが、私の中のケジメとして辛い思い出を掘り返しながら記載していきます。


最新の記事は 2017-07-12 「夏の思い出」


数時間かかって読ませていただきました。




読みながら、

時にス~と鳥肌が立つような感覚をもちました。
一方で、
現実に起こったことなのに
物語を読んでいるような感覚になっている自分に気づいたり。

さまざまな感情が複雑に絡み合う
こころの内が言葉にされています。

こころの内を知らなければ、
自死遺族でない者から見れば
不可解な行動にみえてしまうのかもしれない。
そんなことも感じました。


考えていた以上に
近づこうとしても難しいのです。

自分にはない感情・・・だからなのか。。。


そう、

「自死」は私にとって

遠い世界だったことに気が付きました。。。



病死と自死では
世間の見方も大きく異なります。

遺族も、周りの者も
そこに
触れたくない
触れない
触れられたくない 

そんな空気がありませんか。

偏見や心無い言葉に
多くの遺族は苦しんでいます。

遺族にとっての生きづらさ・・・まずはそこ。






ブログを綴っていた 岡田のりき さんは、

現在

ハートストレングス
自死遺族・関係者が届ける「心の支援」


というピアサポート団体を設立し、

代表として活動を広げていらっしゃることを知りました。





私は、やっと、
入り口の前に立ったところです。

中に入ることはできないのかもしれません。。。
でも、
分かろうとすることはできるのですよね。

これまでの死生観に少し変化が出てくるような、
そんな気がしています。





それぞれの人の ぞれぞれの価値観 を尊重します!
埼玉県鴻巣市の開業保健師 ヘルス プロモーションサポート栗原 HP

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